
平均律と純正律 — なぜピアノのCメジャーコードは「微妙にずれている」のか
12音平均律の理論値でCメジャーコード(ド・ミ・ソ)を作ると、5:4 の純正長3度に対して E は約 13.7 セント高くなります。これは欠陥ではなく、12音を固定したまま全調を扱うための配分です。声や可変ピッチ楽器は音楽的文脈に応じて音程を動かせますが、常に純正律へ一致するとは限りません。本記事では、理論周波数、部分音のうなり、音律設計、実際のピアノ調律を分けて確認します。
Cメジャーコードの「理想」と「現実」
比較基準として、5-limit 純正律でのCメジャーを見ます。ここでは和音を構成する音の周波数を単純な整数比に取ります:
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| 音名 | 純正律の比 | 周波数 (Hz) |
|---|---|---|
| C4 | 1 | 261.63 |
| E4 | 5/4 | 327.03 |
| G4 | 3/2 | 392.44 |
C : E : G = 4 : 5 : 6。この整数比では、C の第5部分音と E の第4部分音、C の第3部分音と G の第2部分音など、低次の部分音が一致します。すべての部分音が重なるわけではなく、実在のピアノ弦には剛性による非調和性もあります。
一方、ピアノの12音平均律では、1オクターブを 2^(1/12) の等比で12分割します。その結果:
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| 音名 | 平均律 (Hz) | 純正律 (Hz) | 差 (セント) |
|---|---|---|---|
| C4 | 261.63 | 261.63 | 0 |
| E4 | 329.63 | 327.03 | +13.7 |
| G4 | 392.00 | 392.44 | -2.0 |
長3度(C→E)は純正比より+13.7セント、完全5度(C→G)は約 -2.0 セントです。差を知覚できるかは、周波数、音色、長さ、音量、演奏文脈、訓練などで変わるため、固定の「人間の分解能」で一律には判断できません。なお、この表は A4=440 Hz の理論的な12音平均律であり、実際のピアノの各鍵が必ず表どおりになるという意味ではありません。
響きの違いに関わる仕組み — うなり(ビート)の物理
2つの近い周波数の音が同時に鳴ると、うなり(beat)が発生します。うなりの回数は周波数差の絶対値です:
うなりの回数 = |f₁ − f₂| (回/秒)
理想的な調波音で E/C = 5/4 なら、E4 の第4部分音と C4 の第5部分音は数式上ぴったり一致します。表の小数を丸めてから掛けたときに見える差は、表示丸めによるものです。
平均律では、E4 の第4倍音は 329.63 × 4 = 1318.52 Hz。C4 の第5倍音 1308.15 Hz との差は約 10.4 回/秒 のうなりになります。これは平均律の長3度と純正長3度の響きが異なる物理的要因の一つです。
完全5度では、平均律 G4 の第2部分音と C4 の第3部分音の差は約 0.89 Hz です。長3度の約 10.38 Hz より遅いものの、聞こえ方は部分音の強さや減衰、楽器の非調和性、聴取条件に依存します。理論上、Cメジャーの純正比との差は長3度に大きく現れます。
なぜ平均律はこの「ずれ」を受け入れたのか
5-limit 純正律の代表的な C 長音階を 1, 9/8, 5/4, 4/3, 3/2, 5/3, 15/8, 2 と置くと、G-B は (15/8)/(3/2)=5/4、G-D は (9/4)/(3/2)=3/2 となり、G-B-D も純正三和音になります。しかし同じ固定音群で調を広げると、別の音程でコンマの不一致が現れます。
それでも、固定された12音だけであらゆる調の長3度と完全5度を同時に純正にすることはできません。たとえば純正長3度とピタゴラス系の長3度の間には 81/80、約 21.51 セントのシントニックコンマがあり、同じ鍵に役割の異なる音高が要求されます。完全5度の循環にも次のずれがあります:
(3/2)^12 = 129.746... ≠ 2^7 = 128
完全5度(3/2)を12回積み上げると、7オクターブ(2^7)にぴったり戻りません。この差 23.46 セント はピタゴラスコンマと呼ばれ、音律設計の根本的な制約です。12個の完全5度を純正に取ることは数学的に不可能なのです。
12音平均律は、オクターブを正確に12等分して各半音を 2^(1/12) とします。その結果、各完全5度は純正 3/2 より約 1.96 セント狭く、各長3度は純正 5/4 より約 13.69 セント広くなり、移調しても同じ音程構造を保てます。
音律の歴史的変遷 — ピタゴラスから平均律まで
このトレードオフに対して、歴史上さまざまな解決策が試みられました:
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| 音律 | 時代 | 特徴 |
|---|---|---|
| ピタゴラス音律 | 古代〜 | 完全5度(3:2)を純正に。長3度は約 408 セントで、純正長3度より約 21.5 セント広い |
| 中全音律 | 15〜17世紀 | 長3度を純正(5:4)に近づけるため完全5度を狭く。使える調が限られた |
| ウェル・テンペラメント | 17〜18世紀 | 調ごとにずれ方を変える不均等配分。バッハの「平均律クラヴィーア曲集」の時代 |
| 12音平均律 | 16世紀末に計算法、普及時期は地域・楽器で異なる | すべての半音を等比にし、移調後も同じ音程構造を保つ。現代で広く使用 |
中国明代の朱載堉は 1584 年の『律学新説』で十二音を等分する高精度な計算法を示しました。音律史研究では、欧州でも16世紀末から17世紀初頭に関連する計算法が独立に展開したと論じられています。ただし「世界でただ一人の最初」を単純に決めるより、計算法・楽器への適用・普及を分けて見る必要があります。
12音平均律の採用は19世紀以降に広がりましたが、普及時期は地域・楽器・資料によって一様ではありません。ウェル・テンペラメントは全調を使用可能にする複数の不均等律を含む概念で、半音をすべて同じ比にする12音平均律とは区別されます。バッハの作品名「平均律クラヴィーア曲集」も、12音平均律を指定したという意味ではありません。
楽器によって事情が異なる
ピアノは演奏中に各鍵の基準ピッチを変えにくい固定ピッチ楽器ですが、12音平均律以外の歴史的音律へ調律することもできます。現代のピアノでは12音平均律を目標にしつつ、弦の非調和性に合わせて高音を高め、低音を低める「ストレッチ調律」が一般的です。ほかの楽器も、調整可能な範囲と実際の音程選択は文脈で変わります:
- 弦楽器(ヴァイオリン等): フレットがなければ演奏者が音高を連続的に調整できる。旋律、和声、他パートとの関係によって選択は変わる
- 声楽・合唱: 音高を連続的に調整でき、和音を単純比へ近づける場合もあるが、旋律進行や伴奏との整合も必要
- 管楽器: アンブシュア、息、運指、トリガーなどで一定の調整が可能。調整幅や特性は楽器・音域によって異なる
- ギター: フレットが平均律で打たれているため、ピアノと同様の制約がある。ただし弦を押す力加減で微調整する奏者もいる
固定ピッチと可変ピッチでは選べる範囲が違います。ただし、実演の音程を「平均律か純正律か」の二択だけで説明することはできません。
「ずれ」は本当に問題なのか
約 13.7 セントという数値だけから、誰にでも聞こえる、あるいは誰にも問題にならないとは言えません。知覚は音色、持続時間、音域、音量、演奏文脈、経験に左右されます。特にピアノでは複数弦の調整や弦の非調和性も響きに影響します。
「豊か」「温かい」「濁る」「味気ない」といった評価は主観的です。音律の物理的差と、聴き手の好みを同じ事実として断定しないことが重要です。
一方、バロック音楽やルネサンス音楽では、残された楽譜、文献、楽器などを手掛かりに当時の奏法・ピッチ・音律を検討する歴史的知見に基づく演奏(HIP: Historically Informed Performance)が行われています。古楽器や復元楽器だけを指す言葉ではなく、現代楽器で歴史的奏法を採る実践も含みます。中全音律やウェル・テンペラメントで調律されたチェンバロの和音は、12音平均律とは異なる響きを持ちます。
どちらが「正しい」ということではなく、音律は表現の選択肢です。平均律は転調の自由を、純正律は協和音の純度を — それぞれ別のものを最適化した設計です。
まとめ
- ピアノのCメジャー(C-E-G)は純正律から最大 13.7 セント ずれている
- 理論上の差は長3度(C→E)で大きく、完全5度(C→G)は約 -1.96 セント
- 響きの違いに関わる物理的要因の一つが部分音のうなり(ビート)。平均律 E4 の第4部分音と C4 の第5部分音に約 10 Hz の差がある
- ピタゴラスコンマとシントニックコンマが、固定12音ですべての5度・3度を純正にできない制約を示す
- 平均律は「どの調でも同じずれ方」にする設計。転調の自由と協和音の純度のトレードオフ
- 可変ピッチの楽器や声は文脈に応じて調整できる。実際のピアノは平均律を近似しつつストレッチ調律される
- 「ずれ」は欠陥ではなく設計上の選択。平均律と純正律はそれぞれ別のものを最適化している
参考文献・ソース
- Duffin, R.W. (2007). How Equal Temperament Ruined Harmony. W.W. Norton. ↗
- Barbour, J.M. (2004). Tuning and Temperament: A Historical Survey. Dover. (Original 1951, Michigan State) ↗
- Cho, G. J. (2003) — The Discovery of Musical Equal Temperament in China and Europe in the Sixteenth Century ↗
- Sethares, W.A. (2005). Tuning, Timbre, Spectrum, Scale (2nd ed.). Springer. ↗
- Simon Fraser University Sonic Studio — Just Tuning (5-limit major scale ratios) ↗
- Fletcher, N. H. (1999) — The nonlinear physics of musical instruments ↗
- Music Theory Online — Discrete Fourier Transform and Bach's Good Temperament ↗
- Zurich University of the Arts — Historical Performance Practice (historical or modern instruments) ↗
記事作成に関する注記
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